旅行期間 ⇒ 2013・06/22〜06/30

行き先 ⇒ トルコ


※今回はサイトの容量の都合で写真がちいさいです。
 また観光客の顔がなるべく映らないように
 シャッターチャンスをねらって急いで撮影したため、
 質がよろしくないです。
 特定の場所はフラッシュも禁止されているため、
 ピンボケしていたりします。
 ご了承ください。


ビシュ(ビル?)(1)
イキ(2)
ユチュ(3)
ドルツ(4)
ベシ(5)

オン(10)
ビン(1000)

タネ(モノをかぞえるときの単位。
   匹、羽とか〇個とか関係なくコレ)
たとえば水は「ス」ですから、
『ビシュ(ビル?))・タネ・ス』といえば、
水をひとつおくれ、ということ……

だ、そうです。
発音がむずかしくて、
6〜9の数字は自信がないのでヤメとく(笑)
上のやつも間違ってる可能性がたかい。

キャラバン・サライ(隊商宿)ができたのは、
13世紀ごろと言われているそうです。
日本でいえば、鎌倉時代。
もうその頃から、このあたりは発展していました。
とくにイスタンブールはシルクロードの終着地点です。
オランダやポルトガル人などの海路発見までは、
重要な商業ルートでした。

ラクダで1日30〜40キロ移動し、
こういったキャラバン・サライ(隊商宿)で
休息していたんですね。
山賊や十字軍の襲撃にそなえて、
ここには40〜80人ぐらいの一部隊が
駐留していましたし、
台所やハマム(浴場)もありました。
100件ほどあったといわれております。
3日までの宿泊が無料で、
それをすぎたら、小額のお金が必要だったそうです。

もし、商人が賊や十字軍に襲撃された場合、
軍や王からお金を借りることができたそうです。
商人を見棄てはしなかったというわけです。
十字軍には、ファンタジー好きが憧れるようですが……、
自分は若いころからヒネた性格だったため、
十字軍の蛮行に眉をひそめておりました。

あのアーサー王も、結局は宗教の戒律をやぶり、
(姉と通じた)
そして裏切られて果てるのですからね。
なぜ彼がティルナノグに行けるのか、
そしてまた行く資格があるのか、
とても不思議でなりません。
それだったら、
異教徒に寛容で、存在をもみとめ、生活をゆるした、
メフメト2世やスレイマン1世のほうが、
よっぽど資格があるんじゃないでしょうかね?
だって、ヨーロッパはムスリムをサラセン人とさげすみ、
同胞であるはずのビザンツを攻撃したんですよ?
それに、もし十字軍がオスマンをやぶっていたら、
略奪と虐殺をしていたでしょ?
アーサー王も、ラーンスロットも、
平気で領土拡大のためにやっていたことですよ?

……熱くなってしまった、申し訳ない。
では、4日め、まいりましょう!






〜 4 日 め 〜


ギョレメは、『見ないで』という意味です。
塩湖、カッパドキア、石灰棚が、トルコ3大自然です。
遺跡はわかっているだけで360ほどあり、
トロイがもっとも古いとされています。
エフェソスは、ローマ最古の遺跡とされております。

さ、かた苦しい話をいったん横に置きまして、
ちょっと街を散策してみましょう!













朝の6時ぐらいでしょうか。快晴!
公園のちかくに、モスクがあります。
そうか、こうして子どものころから
モスクを見ているんですね。
ホテルからムチャクチャ近いので、
いやでも朝4時に目を覚まします(笑)

モスクは日本では馴染みがありませんから、
とても新鮮でした。
キリスト教のアメリカの占領国だもんね。
日本が独立国家? ハハハ、いいジョークだよ、ソレ。
モスクには人がいなかった(?)のですが、
他所では人がいました。
『コーヒー飲んでけ』と言われたりして、
けっこう親切だったが、それはまたあとで。

ひとまず、
キャラバン・サライ(隊商宿)にむかう。
ただし、ここは入場料が必要です。
のちに、レストランで
こことおなじような建物(忠実に再現したものです)で
食事をするために、
中にはいらずに外観のみになります。











トルコ、はチュルキエ(テュルキエ)と言います。
チュルク(テュルク)は、硬い、丈夫な、という意味で、
ヨーロッパ人がつけました。
もともとはモンゴル系だと言われております。
モンゴル人は馬肉をたべませんが、
トルコ人もおなじく馬肉を食べません。
馬のミルクや酒(クミス)を飲んでいたそうです。

当時はカスピ海のほうからやってきて、
もともとはシャーマンを信じておりました。
崇拝していたのは『蒼天』。
これはモンゴルもおなじですね。
現在もトルコにとって、青は神聖な色になっております。

ハンガリー人もトルコ系ではないかと言われておりますが、
確証はないそうです。
イスラム教は、ペルシア(現イラン)のほうから
伝来しました。

大ざっぱですが、約1000年ほどまえに
トルコ系遊牧民がアナトリア地方にきたときに、
すでにビザンツが支配権を確立していました。
ビザンツは、言うまでもないですが
東ローマ帝国のことです。
(ルーム・セルジュークの時代です)
ルーム・セルジューク(ペルシア)は
一時は中央にせまる勢いでしたが、
モンゴル軍の来襲で大敗を喫し、
ビザンティンも西アナトリアの大半をうしないます。
やがてモンゴル軍が去り、
1453年までビザンツは生き残ることになります。

1299年から、
ブルサでオスマン朝が攻勢に出ます。
(ブルサはもとは首都だった)
20回攻撃しても、びくともしなかった
コンスタンティノープルを攻め落としたのは、
弱冠21歳のメフメト2世その人でした。
すぐれた大砲の話もありますが、
どちらかといえば、
かの乃木希典らが興味をしめした、
『一晩で艦隊72隻を移動させて
 コンスタンティノープルを陥落させた』
お話のほうがロマンがありますね。

そうです。
乃木希典らはイスタンブールに行って
トルコのスルタンに会っているんですね。
日露戦争の英雄として、
かれらはスルタン(王)に歓迎されたそうです。
そのころには、
のちのアタチュルクとして大英雄となる
「ムスタファ・ケマル」もいて、
多少の日本語をまなんでいたそうです。
アタチュルクは、
当時の明治天皇をとても尊敬していたそうです。

え? 歴史話は退屈だ?
まあまあ、そういわずに(笑)
よし、では、つぎはメヴラーナ博物館へ。

メヴラーナは、学術を好んだそうです。
562年にムハンマドが誕生し、
かれは40歳で神からの『預言』をつたえました。
『読み、まなびなさい』
数字の1〜9はインド人が生み出しましたが、
0はアラブ人が考え出したんですね。

12世紀ごろから、
天文、哲学、医療、宗教、数学、歴史など、
ありとあらゆる学問がひろまり、
ヨーロッパからも学びにやってくる人が多かったそうです。
そんな中、13世紀にメヴラーナが誕生しました。
しかし、いつしかムスリムたちも廃れてしまい、
学問を否定する風潮が高まってしまいました。
宗教が最高の学問であると思ったそうです。
いまの原理主義者たちに、
考えが似ているとおもいます。

『読み、まなびなさい』
預言者ムハンマドのことばを、
原理主義者たちは、
どう受け止めているのでしょうか……。











ここは、足を清める水場です。
飲まないほうがいいと思います。

不安になってきたので、
イスラーム(日本版)から抜粋いたします。

1.手を洗う(3回)
2.口に水を含みすすぐ(3回)
3.鼻の穴に水をいれそそぐ(3回)
4.顔を洗う(3回)
5.手首からひじまで、左右の順に洗う(3回)
6.手をぬらし額からうしろの方向に髪をさわる。
  続いて、人差し指で耳の穴をさわる。
7.足を洗う(足くびまで3回)

あれ、ガイドさんが言った数字とちがう……。









この窓から、
女性たちが一生懸命お祈りしていました。
目の前のものにお祈りをしていたのですが、
これが何なのか、自分にはわかりません。
ガイドさんも教えてくれないしね。

現在のトルコのスカーフ率は、6割ぐらいです。
政教分離なので、強制ではありません。
ただ、コンヤは保守的な街なので、
スカーフをしている女性が非常に多いです。

お祈りは、両手をあげ、
(日本風にいえば奉げものをするような感じで)
心で祈り、顔を手につけます。
そして、『アーミー(そうでありますように)』と
言います。
『お願いごとが叶うよ』
と、ガイドさんから言われたので、
『どうか世界が平和で、貧困がなくなりますように』
と、メヴラーナの館で心から祈りました。
ムスリムではありませんが、
叶うといいな……。











あ。水のんでる(笑)
日本人は、飲まないように。
お腹いたくなりたくないやろ?
外国の生水は、日本とはちがうと思うぞ。











これらは、当時の生活を再現したものです。
言うまでもなく、すべて人形です。

イスラームのお祈りは、1日5回。
場所によっては3回らしいです。
トルコはスンニ派。
シーア派はイランやシリアだそうです。
イスラームでは、
欠かすことのできないだいじな5つの項目があります。

1.神は唯一絶対である。
  口でとなえ、心から信じればムスリムになれます。
  キリストでいう牧師や神父は不要です。

  洗礼はしないが、割礼はあります。
  赤ちゃんがうまれると、思春期まで天使とみなされ、
  多少の悪事をはたらいても罪にはならないのだとか。
  日本なら、少年犯罪法で刑務所行きですがね。
  いや、政教分離やから、あるのかもしれん。

2.1日5回祈ること。
  トルコでは、やってる人はすくないです。
  政教分離ですからね……。
  アザーンがながれるので、
  それを目安にすればいいと思います。
  太陽の角度によって、ながれる時間が違います。
  でも朝は、絶対に4時!
  自分がそうでした。

  現在は、スピーカーがありますが、
  それがなかった時代は、
  僧侶が螺旋階段をのぼって、
  アザーンを大声で呼びかけていたそうです。
  いまは、もう登るひとはいません。

  カァバの方向をむけば、お祈りはどこでもOKです。
  ただし、清潔な場所で。

3.断食。
  日の出〜日没まで。
  水も食べ物もいっさいダメです(子どもは除く)
  期間は1ヶ月。
  太陰暦でかぞえるため、毎年、ラマザンがズレます。
  (西暦より11日みじかい)

  貧乏人の気持ちを知るため、
  食べ物のありがたみを知るために、
  実行されるのだそうです。
  食料ロスが多い日本でも実践すべきですね。
  仏教でもあるんだけどな、断食の修行。

  この時期は肌の露出も禁止らしく、
  ベリーダンスを見ることができません。
  ただし観光客はムスリムではないので、
  レストランに行けば、食事が提供されますよ。

  ラマザンのときは、1日2回食事をします。
  夜と、朝3時にたくさん食べ、飲むそうです。

4.巡礼。
  カァバ神殿ですね。
  ただし、お金がないひとは、行かなくてもOKだそうです。

5.収入の40分の1(2.5%)を貧民に施すこと。
  これは義務ではないので
  現在トルコ人でしない人もいますが、
  全員がしているときは、貧困率が下がったそうです。

以上の5つが重要事項になります。
有名なのは豚肉の禁止。
当時は豚肉で疫病が流行したためです。
現在は豚肉は安全だと知っていても、
(いまの人びとは、
 豚肉が安全であることを知っています。)
1度きまってしまったら、
戒律を変えることはできません。
したがって、いまでも豚肉を食べないのです。

食品ロスを放置し、
家畜を虐殺する中華圏の人びとも、
すこし見習ってはいかがでしょうか。
日本も、韓国も、台湾もです。

イスラムは4人まで妻帯OKですが、
トルコは禁止されています。
アタチュルクが禁止にしたためです。
もともと、この戒律は
未亡人や、結婚できないむすめたちを
(戦争で野郎がたくさん死んだため)
救済するためにあったものですからね。

★余談ですが……、
 ギリシア正教は、いちおう『再婚』は
 みとめられていました。
 しかし、3度めは姦淫とみなされ、
 4度めは一夫多妻のけだもの、と見なされました。
 当時のコンスタンティノープル皇帝レオン6世は、
 立てつづけに妻をうしない、
 子どもにもめぐまれなかったので、
 3度めまでは赦されました。
 しかし、かれは4度目の結婚をします。
 そして、やっと男子にめぐまれました。
 このことで総主教が激怒し、
 『絶対にアヤソフィアには入れないけんね!』
 (いや、こんなさぬき弁ではないが(笑))
 と、論争したそうです。

 目の前に敵がせまってるのに、
 しょうもないことで論争してたんですね……。
 先に敵を追いはらってから論争すれば良かったのに。





















メヴラーナは、
音楽と踊りが禁じられているイスラームに、
改革(と、表現して良いものか……)をもたらしました。
父親も学者で学問に通じており、
かなりの秀才だったそうです。
というのも、帽子は地位をあらわすのですが、
かれは、最高位だったようです。
現在は、アタチュルク同様に
棺のみが地上にあり、
4メートル下に丁重に土葬されたそうです。

現在は、このメヴラーナの館には
あの預言者ムハンマドの遺品(あご髭)もあります。
預言者の遺品はあちこちにあるそうで、
トルコは2箇所あるそうです。
むかしは、アラブ人よりもトルコ人のほうが、
アラブ語がうまかったそうですよ。

世界がまわっているから、己も旋回し、
無我の境地におちいる。
本来は、60分ほど回転するそうです。
1点を見ていたら、目がまわらないそうですが……、
でも、目がまわるようです(笑)
男性は1階から、
女性は、2階から踊りを見おろしていました。
(モスクでも女性の同席は禁止。
 女性だけ隔離された場所でお祈りします)
右手は天、左手は下にむけて旋回します。
(天は神、下はヒトを示す)

メヴラーナが遺した、良いことばがあります。
キリストでもユダヤでも、
だれでもいらしてください。
扉は、いつでも開いています。

とても良いことばだと思いませんか?
当時の十字軍お抱え(いや、逆か)の司祭たちならば、
『異教徒ごときが来るんじゃねーよ、バーカ』
で、終わるとおもうのです。

ほかにも、すてきな言葉があります。
・寛容は海のようにあれ
・謙遜と謙虚は土のようにあれ
・怒りと苛立ちは死のようにあれ
・助けは川のながれのように考えよ
・あるがまま、見かけのままふるまえ

とても、満たされた気持ちになりました。
そして、神学校へ。



中にはいることはできませんでした。
雨、風、雪、
800年以上も学校の青タイルがありますが、
けっして劣化することはなかったそうです。

『神学校』というのはまちがっている、
とガイドさんが言っていました。
だって、おしえているのは宗教だけではないから。

当時は、1年や2年生というものがなく、
試験の結果で席がきまっていたそうです。
愛知のリトルワールドに、
トルコからわざわざ原材料をとりよせて、
忠実に再現された建物があるそうですよ。
イスラームに触れる、良い機会ではないでしょうか。

さ、かた苦しいお話ばかりでしたし、
そろそろお腹がすいてきましたね。
お昼にしましょう。

















隊商宿(キャラバン・サライ)を忠実に再現した建物で
トルコ風のピザ。
トルコでは『ピデ』というそうです。
麦畑の多いコンヤでは、美味しい料理です。
石焼釜で焼いて食べます。四角いです。
ミンチのなかに玉ネギやチーズなどが一緒に乗ってて、
くるくると巻いて食べるほうが食べやすいですね。
豆スープもおいしかったです。
デザートはフルーツばかりだったので、
迷わずにチョコを選択しました。
が、フルーツのほうが甘かったという(笑)
りんご甘かったな〜〜〜。



ふたたび長距離移動。
途中でインターで休憩。
いや、高速道路がないから国道ですけど(笑)
日本の2倍ほどの面積で、
EU加盟をめざしているけど、
高速道路が極端にすくないんだぜ……。
しかも、この辺は新幹線もないんだぜ……。
ゆえに、気長にバス移動6時間。
女性はトイレに気をつけよう。





























トルコの風景を見ながら、ガイドさんのメモっと。
トルコ国土の25%ぐらい、木があるそうです。
北部に集中しています。
世界3番めに花の種類(3千種ぐらい)が多いそうです。
ちなみに、いちばん多いのは南米。
チューリップがトルコの花とされています。
(一時の平和のチューリップ時代ってのが
 オスマン帝国時代にありましたしね)
あと、医療麻酔のためにケシも栽培しています。
毎日、憲兵が監視して数もかぞえているそうです。
盗めば、即座に追いかけてくるよ。
密売はできないようになっています。
良い子は絶対にしてはいけません。

コンヤの街は平地ですが、周囲は山です。
自転車もたまに走ってます。
自転車専用道路というものもたまにあり、
そこを走らないと捕まります。



ここでいったん休憩。
ああ、ケツがいたい(笑)





コンヤをぬけたら、
つぎのホテルまでまた田舎道です。
田舎のひとは、
お店もないのにどうやって食料調達をしているのだろう?
ちょっと尋ねてみたら、
『1週間に1回、市場をやってる』
って言ってました。

トルコの家の屋根瓦は、基本的に染めません。
赤茶色は自然色です。
各家庭には煙突があります。
トルコの電力は、

火力 − 71%
水力 − 21%
地熱、風力、その他 − 各1%

現在は原子力発電をロシアと日本とに
発注している状態です。
『原子力、ほんとにいいのですか?
 私らは反対ですけど……』
と言うと、
即答を避けました。
どうも、政治色がからむ質問は嫌らしい。
軍に関する質問も嫌がられたしな。
おいおい、日本の原発とロシアの原発って、
最悪の事故を引き起こした最凶悪コンビ
やないかい!
事故の影響で、
癌で亡くなったひとがトルコにもいたでしょ!
知らないのか、それとも隠蔽されてんのか?

……まあ、それはともかく。
各家庭の煙突は、暖房です。
いまでも石炭、薪のストーブだそうです。
イスタンブールなどの都会は電気だそうですが、
田舎は、まだまだ現役。

屋根にはソーラーパネルのようなものがありますが、
残念ながらソーラーではありません。
あれは水入れタンクで、
風呂水をあたためるために、タンクを屋根に置くそうです。
西トルコは、150日ぐらい晴れているため、
水をあたためるにはちょうど良いのだとか。
お風呂は日本の習慣で、
もともとトルコ人はシャワーのみです。
お風呂に浸かると気持ちいいのにね〜。勿体ない。

エアコンはないですね。
ほとんど扇風機。
でも、朝晩は冷えるのでエアコンは要らないです。
ちなみに、田舎のほうにいけば、プロパンガスです。
これは日本もおなじですね。

トルコは、基本は玄関で靴をぬいであがります。
日本に似ていますね。
あたらしいものが好きで、
いまはipadに注目があつまっているのだそうだ。
家電製品もありますが、けっこう高いですよ。
うろ覚えだが、
冷蔵庫は40万ぐらいしたような気がする。
メーカーは、サムスンとかLG。
韓国ばっか。
自動車もヒュンダイ。韓国やんけ!

トルコの家はひろいです。
一人あたり、117平方メートルぐらい。
田舎の家は外観はよろしくないが、
(廃墟にみえるボロ屋が多いです)
中はとても綺麗です。
これは信用できますね。
自分が行ったホテルも、
外観はオンボロのマンションですが、
中はムチャクチャ綺麗でしたからね。
どうも、中だけはきれいにして、
外観はどうでもいいと考えているようです。
たしかに、遊牧時代は外の掃除は不要でしたもんね。
その名残がまだあるようです。

トルコ女性は、掃除マニアだそうです(笑)
外で優雅にチャイ(お茶)を飲んでる野郎どもがいますが、
男尊女卑ではなく、
『邪魔だから外に行っててよ!』
と、追い出されていることがほとんどだそうです(笑)
カカァ天下らしく、男性は女性にさからえません。
掃除が終わるまで、男性は家の中に入れてもらえません。
だから、仕方なく外でチャイを飲んでいるのです。
トルコの男は肩身がせまい、と言ってました(笑)















これがホテル。綺麗ですね。
パムッカレはリゾート地でもありまして、
観光客が多いです。
なので、ここのフロントは英語が通じます。
海の夕陽を撮りたいから、チェックインをさっさとやる。

そういや、海に行ったときに
塀が想像以上にたかくて(よく降りれたな……)困っていたら、
海でのんびりしてる親子がいて、
助けてもらいました。
『どっから来たの?』って英語でたずねたら、
『オレはトルコ人だよ』って言われました。
リゾート地のど真ん中で、
まさかトルコ人に会えるなんて!
(よっぽどの金持ちじゃないと、来れないから。
 物価が日本と変わらなくても、
 生活水準はまだ日本のほうが上です)
うん、区別つかないな。
長身、白肌、金髪碧眼、どう見てもヨーロッパ人だ。
(むろん、黒髪黒瞳のアラブ系もいる。
 でも、アジア系は少ないかな……。)
トルコの男は、
おれのような性悪の軟弱男(自覚しとるんかい!)とちがって、
強くてやさしいよ。
塀にのぼるときも、片手で、ひょいっとしてくれたしな。
(徴兵のときの訓練の賜物かも?)
日本にロクな男がいないと嘆いている、そこのアナタ!
トルコでイイ男をさがすほうが、たぶん早いぞ。
でも、相手もカタコト英語、おれもカタコト英語(笑)
まあ、たのしく談笑できたからいいや。
トルコ語講座されたけど、発音でけへんかった。
子どもに日本のチョコレートを差し上げて、別れました。

あ、そうそう。
日本のお菓子は、海外ではけっこう好評ですよ。
ちょっと分けてあげたりすると、
けっこう喜ばれるので、ぜひ差し上げてください。
日本のチョコレートは、たしかにウマい。
アメリカやヨーロッパの安物のチョコにくらべると、
ぜんぜん違うもん。





にゃんこ。人馴れしすぎて、逃げません(笑)
でも、ベリーダンスが始まったら逃げる。
眠そうな顔すんニャよ〜。
どうせお前もゴミ捨て場で漁るんだろ〜。

トルコは、野菜料理が多いです。
さすがは農業の国。
田舎のほうだと肉は割高で、
1キロ2000円ぐらいするんだってさ。
めっちゃ高いな!
オリーブ油はたかいから、ヒマワリ油。
あとは塩コショウでいためる。

一般サラリーマンの月給は11か12万ぐらい。
低収入の日本人とおなじぐらいやな。
むろん、都会では暮らせないから共働きです。
家賃は都会で6万円〜、田舎では3万円〜、
公共料金は、だいたい平均で2万円ぐらい。
田舎は、1万円ぐらい。
しかし、子どもができたら学費は無料やし、
(大学に進みたければ、国公立ならば無料!)
食費がやすい。
肉をガマンすれば、
トマトやキュウリなど、1キロ1リラで買える!
だから、暮らせないことはないですね。

出生率は、都会は2.1人、田舎は4人ぐらい。
食費は3〜5万円ぐらい。
日本同様に、だんだん核家族化しているそうです。
産業は繊維。つぎに農業。
はたらいている5割はサービス業。
2割は工学、残りは農業・その他。

朝6〜6:30に朝食。
トルコ人は、あまり外食しません。
なかで食べることが多いです。
チーズ、オリーブ、チャイ、パン。
あとコーヒー、ハチミツ、タマゴ。
オリーブの実をよく食べるようで、消費量は世界一。

08:30〜就業。12〜13時はお昼休憩。
13〜17:30までに仕事がおわる。
残業は、ほとんどないそうです! うらやましい!
職種によっては、働く時間が長引きます。
(サービス業とか)

夏は夜8:30、
冬は夜5:30ぐらいに日がしずみます。
6:00〜06:30ぐらいに晩ごはん。

お酒は家ではあまり飲みません。
トルコは政教分離だから、お酒OKです。
本来は、ダメですよ!
だから、イランなどの
イスラームの戒律がきびしい国から、
わざわざ酒を飲みにトルコにやってくるそうです。
で、家にいるときは
テレビを観ながら
ヒマワリのタネやカボチャのタネを食う。
だから、みんな太いのか……お腹が(待て)

むかしはイスラームの規定にしたがって、
金曜日がお休みでしたが、
現在は土日。
ちなみに、そのほかにも
1ヶ月まるまる休みがもらえるらしい。
(その間は、給料もしっかり出る!)
土日のお休みは、
家族でバーベキューやピクニックなどをして
楽しむことが多いようです。
いまの日本は、家族とふれあう時間が減っていますから、
ちょっとうらやましいですね。

しかし、いっぽうで、生活に困っているひとは、
トルコに2000万人いると言われています。
人口7500万人にたいし2000万人は、
かなり多いですね。
EU加盟のためにインフレになり、
物価が急激に上昇したことも原因のひとつらしい。
10年ほどまえにローンが組めるようになり、
物件もたかくなりました。
200万だった家が2000万に(田舎)、
1000万だった家が1億(都会)もするようです。
現在は、アラブのお金持ちや、
欧州のお金持ちが買っていくようですよ。

トルコにもお金持ちはいますけどね。
チョコレートで有名なゴディヴァ。
トルコの実業家が買い取りましたしね。

いまは、トルコのバブル時代!



この日は、バイキングでした。
観光客むけのいつも通りのメニューなので
写真はありません。

パムッカレのパムは、『綿』という意味だそうです。
ですから、日本語にすると『綿の砦』。
このあたりにくると、けっこう暑いです。
エフェソスはピークです(笑)
フリースはもう不要だと思います。
冷え性のひとは、
朝晩にあればいいかな、と思うぐらい。

ここの手前の街は、
ハチミツやバラが有名な産地なのだそうです。
松の実のハチミツは、めずらしいな。
ここでしか採れないそうだ。
必死で漉さないと、あとが残るぞ! 食べにくいぞ。
バラは、女性が好きそうだな。

翌日は、石灰棚にむかいます。
石灰棚のほうならば、
トルコ人が圧倒的に多いですね。
そしてドイツ、ロシア、と続いていくそうです。
ロシア人は、1日あそんでいくのだそうだ。
なんとうらやましいことか!

これにて4日め終了!

by ナマゴワクチン


もどってみるんですよ。