行き先 ⇒ トルコ ※今回はサイトの容量の都合で写真がちいさいです。 また観光客の顔がなるべく映らないように シャッターチャンスをねらって急いで撮影したため、 質がよろしくないです。 特定の場所はフラッシュも禁止されているため、 ピンボケしていたりします。 ご了承ください。 ナススレス(ごきげんよう・調子はどうだい?) チョクチョクイーム(I'm OK !! バッチリさ!) この会話もできるといいですね。 トルコ人の英語は、日本人とおなじぐらいです。 ですから、 現地のことばをすこし覚えておくと便利ですよ。 ただし観光地やバザールは、 英語も日本語もしゃべりますがね。 カッパドキア。 ペルシア語(現イラン)で、『うつくしい馬の国』の意味です。 ペルシア人がカッパドキアにやってきたときに、 あまりにもすばらしい馬がたくさんいることから、 この名がついたそうです。 何百万年ものあいだに、自然にできた岩の群れ。 中心だけで3000平方キロ以上ですから、 すべてを見るには1〜2週間では足りません。 現在わかっているのは、 すくなくとも地下都市が36はある、 ということだそうです。 ここは、キリスト教徒の防衛線でもありました。 ローマの迫害もですが、 ムスリムたちの侵入もありました。 ガイドさんは言ってくれなかったのですが、 カッパドキアの本によりますと、 ビザンツ時代後半は、ここが最終防衛線だったようで、 彼らはここで抵抗しようと待ち構えていたそうです。 しかし、実際は奪うべきものがなく (遊牧民は他国支配だけでなく、 略奪が目的でもあるためです。 したがって、遊牧民たちは地中海をめざしました) また地の利が相手にあり、 その反撃をうければ損害が大きいことを知っていて、 ムスリムたちはあえてこの地域を無視したそうです。 兵糧攻めもしなかったようですしね。 前方のビザンツと後方のキリスト教徒との挟撃のおそれは、 なかったものと推測します。 あの岩群の地で反撃することによってのみ 最大の攻撃が成立しますし、 遊牧民はヒットアンドアウェイが得意で、 一点にずっととどまらないですし、 実際に一度はビザンツをやぶっていますからね。 このあたりは田舎でして、 スーパーなどのお店はありません。 どこか街に出るまで我慢しましょう。 スーパーには、雑貨があまりありません。 ガイドさんは雑貨はないと言っていましたが、 実際に行ってみますと、 少しではありますが シャンプーや歯磨き粉や洗剤など置いています。 露店は、いうまでもなく偽モノが多いです。 ですから、値下げ交渉もとうぜん可能です。 興味があれば、どうぞ。 ただ、ごくごくたま〜に、 本物の出土品をひろって売っているアホがいて、 それが空港のX線で引っかかって 荷物を開けられる上に 素っ裸にされる(?)場合もあるようです。 気をつけましょう。 ガイドさんのことばをメモしていますから、 下で織り交ぜながら進めます。 上記ですこし触れましたが、 おもな歴史は、各自でお調べください。 サイトの容量がのこり少ないので、 (だから今回は写真がちっこいのだ(笑)) あまりページを割きたくないのであります。 アザーンで目をさます。朝4時。 快晴。だが肌寒い。そして、眠い(笑) すこし散策しようとしたが、 ここでもう1泊するため、 建物の周辺をしらべ、撮影することにする。 とちゅうでカブトムシとテントウムシとたわむれていたのは、 内緒の話である(笑) 自分の手足が映ってしまうので、 これは撮影してないけど。 だってさ〜、カブトムシなんて 日本でめったに見れるモンじゃねぇぜ? おれがガキだったころは、その辺にいたのにさ。 陽光がまぶしい。 今日も良い天気だ。 うっし、がんばって歩くぞ!! これが有名なキノコ岩。 パシャバ(ハシャバ)というらしい。 ここで隠遁生活を送ったひともいたそうな。 たしかに、ところどころ隠れて待ち伏せし、 敵を迎撃するには絶好の地ですな。 岩のなかに入って弓で攻撃すれば、 下からは反撃されませんしね。 (トプカプの武器庫(撮影禁止)の弓をみれば、 かれらが短弓を使っていたことがわかります。 いかな強弓といえど、あの距離を下から、 それもせまい穴に命中させるのは至難の業でしょう) 攻城がにが手な遊牧民にとっては かなりの難所となっていたでしょう。 実際には、無視されてしまったようですが。 有名ならくだ岩。 あ。ほんとだ。ラクダの形してら。 トルコ語で、デルウェンツというそうだ。 コレも自然にできた岩。 あと、ナポレオン帽子とか、ペンギン、男女のキス、 聖母マリア、いろいろあります。 ぜひ探してみてください。 下に、トカゲがチョ〜ロチョロ。 ちかくに犬。 ほんの、一瞬のできごとでした。 砂塵が舞い、犬がたたずむ。 ハンティングに失敗。 おまえ、トカゲ食ってるのか……。 あきらめきれないようで、 ぼんやりとする犬が愛らしかった。 景色がいいんですよね。 遊んでいたくなります。 冒険心をあおられます。 有名な妖精の煙突は、トルコ語でペリパジャス。 3人姉妹の岩もあります。 ぼうし……岩……? おれの腐った目だと、 どう見てもサイにしか見えん(笑) 快晴だったため、 どんな写真でもきれいに見えます(笑) まるで、RPGの世界ですよね。 むかしの人は、どんな思いでここにいたのだろう。 当時のキリスト教徒たちの意思の強さが伝わってきます。 信仰のために、ここで暮らすことを選択したのですから。 自分にはできないことです。 残念ながら、 いまは欲でみちたクズがいっぱいいますがね。 ひよこ。と、親鳥……だと、おもわれる。 トサカないし。茶色いし。あきらかにおかんやろ。 人馴れしているのか、逃げないな。可愛い。 ……本物のラクダ(笑) 写真撮影はお金がかかるんだけれど、 係員がいないときにコッソリ撮影。 遠い場所からだけどね。 これはズームで撮った。 いつかラクダに乗りたいなぁ。 あと乗ってないのはラクダだとおもう。 探検は、ここでおしまい。 つぎに絨毯のお店へ。 伝統を見れるのは非常にうれしいのだが、 押し売りには気をつけろ! 断りにくい日本人につけ込んできます。 ただし、それは現地ガイドの給料に かかわってくるからです。 現地ガイドは薄給のため、 お客のチップか、 こういう場所でお客に買ってもらった見返りで 生計が成り立っているそうだ。 だが、絨毯なんてそう使うものではないし、 何よりも高い。 20万ぐらいします。 ただし、かれらの名誉のために言っておく。 コレを日本の百貨店で買おうとすれば、 安くて50〜60万、 相場は90万〜100万ぐらい、と思ってくれ。 実際に確認しました。 トルコ人は、 日本人がいまでも金持ちだと信じているからね。 実際はそんなことないのにね〜。 バブルはとうに崩壊して、 社会格差が広がってるだけやのにね〜(笑) いちおう、「いまの日本人はお金ないよ」とか、 「少子化やし、領土問題もあるし、絶望的だよ」とか 言っておいた。 結婚しない若者に、めっちゃビックリしてたな。 で、断りにくいひとに、おれが伝授してやろう。 たいてい、ああいう場所にはチャイ(お茶)が出ます。 説明が終わったあとに、 『お茶のんだらトイレ行きたくなった』 と言って、すぐにトイレに行きながら、 出口をすばやく探します。 捕まるなよ。押し売り軍団はしつこいからな。 そしてトイレが終わったら、 すぐに外に出て待機するのです。 押し売り軍団(笑)も、 さすがにトイレまではついてきませんから。 もし出口がなければ、 そのままスッと入ってきたところから外に出るといい。 足を止めるなよ。 押し売り軍団と目もあわすな。 おれはそうやって、バスの運転手さんとかと話ししてた。 ことばは通じなくても、楽しいよ。 東京のことを「とっきょ」(特許???)と言ってたので、 「とーきょー」と講座したり、お菓子をあげたり。 では、まず工房で作業をご覧いただきましょう。 絨毯は中国、ペルシア(イラン)も有名ですが、 発祥はトルコです。 これは、複数の文献でも一致しております。 もともとは遊牧民がつかっていたもので、 その名残が今でもあるというわけです。 トルコ人は、絨毯の上で生活をします。 (いまは、欧米式が増えてすくなくなったそうだが) 靴をぬいで家にあがり、その上で食事をしたり、 お布団をしいたりします。 日本とよく似ていますね。 現在は政府が絨毯売買に介入しており、 機織機が買えない女性のために、 政府が買い与えているのだそうです。 その代わり、 売り上げのいくらかは返さなければならないそうだ。 草木染のため、色あせません。 踏めば踏むほど強度が増し、 100年以上まえの品物は 100万以上の値がつくそうです。 長持ちするので、 子々孫々も親や先祖のことをわすれない、 というわけですよ。 このお店には、 5世紀まえのものが展示してありました。 たしかに、強度があり、色あせていませんね。 これが、チャイ。 飲んで、説明を聞いたら、 絨毯を買う気がなければさっさと逃げよう。 トルコ人といっても、 やはり遊牧民やアラブ系はもともと商売の民族ですから、 ほんとうに口がうまいです。 逃げきる自信がなければ、 説明がおわってスタッフに話かけられるまえに とっとと逃げること。 トルコの絨毯は 『7×7』の最小の刺繍でギネスに載ったそうです。 25本の繊維を1本にし、それをさらにまとめていけば ひとつの糸に500もの繊維が入っています。 そして、縦糸を垂らして横糸をとおします。 2重で糸をとおすので、中国やペルシア製とちがい、 かなり強度があり、長持ちします。 それだけ手間ひまがかかり、製作にも時間がかかります。 リビング3畳ぐらいで、半年ぐらいが目安らしい。 柄は、女性たちが好きに決めるそうです。 カッパドキアは農業ができません。 したがって、牧畜が中心になります。 ですから、絨毯などの工芸が主体になります。 (現在は放牧はOKだが、遊牧は禁止) 絨毯は、ヒツジの首の毛の部分が最高級とされ、 それだけで織った絨毯は、クッソ高い値段がつきます。 つぎに胴体の毛。 ただ、ヒツジの毛の絨毯はどれも高いです。 最高級は、言うまでもなくシルク。 トルコ人も、お正月やお祝いのときぐらいにしか 使わないそうです。 さて、休憩おわり。 ギョレメへむかいます。 えーっと……まあ、いいか。 かるく歴史をご紹介します。 11世紀ごろぐらい、日本では平安時代ぐらいに、 ムスリムが入り込んできました。 実際には、 9世紀ごろもちょっかいを出していたのですが……。 こういった記録は、 タルスース(トルコ南東)という町の記録がくわしいですね。 当時の兵や村の様子まで描かれているので、 機会あらばご一読ください。 キリスト教徒たちが、信仰のために いまわかっている時点で1000件ほどの洞窟教会を つくったそうです。 150件ほどの壁画が残っており、 現在も観ることができます。 村のガキんちょがラクガキしたり、 観光客が壁画をぐちゃぐちゃにしたりしたので、 去年までは何もなく自由にして良かったのに、 現在は柵がもうけられ、さらに一部は撮影禁止です。 キリスト生誕の地はいうまでもなくエルサレムですが、 伝道はトルコだといわれております。 聖母マリアはイズミルで暮らしていましたし(晩年)、 最初のキリスト教会も、 じつはトルコ北部のアンタキアでつくられました。 聖パウロ、聖ニコラスも南トルコ出身ですし、 聖7教会は現在もトルコにあり、 巡礼もおこなわれております。 ★余談ですが、 トルコ人が先進国のヨーロッパ人に小バカにされたとき、 (とくに宗教がらみ) 『お前は、いちばん最初に教会ができた場所を 知っているのか!』 と、怒鳴るそうですよ。 そして、ヨーロッパ人は押し黙ります。 なぜって? その事実を知っているひとが少ないから ですよ。 政教分離が確立され、宗教の自由があるとはいえ トルコは99%がイスラムです。 異教徒の地に、聖地があるわけですから、 ヨーロッパ人も言い返せませんね。 ほんとは駄目なんだけど、 スタッフがいないあいだに、こっそりズームで撮影。 見えるかな? (フラッシュもしてない) 柵がもうけてあって、しかも近寄れないのに 撮影禁止はひどいんじゃないかとおもう。 ここはまだゆるいけど、トプカプはヤバいよ。 中国人からまなんだんだけれど、 撮影する方法もあるっちゃ、あるけど……。 (連中は、そういうことに対してはアタマがいいな。 そうか、そういう方法もあるのか(笑)) いまは教えません。 当時の識字率は、悲惨なものでした。 だから、こうして壁画にして イエスの生涯を描いてつたえようとしてたそうです。 ローマのつぎは、ムスリムの攻撃。 当時のクリスチャンたちは、不運でした。 しかし、それでも彼らは信仰を護りました。 したの渓谷に住んでいる人びとも、 お祈りにきたそうです。 この辺の岩は凝灰岩です。 掘りやすく、くずれにくい。浸水もしない。 カッパドキアは雪がよく降るので、 飲み水にもあまり困らなかったそうです。 洞窟のなかは、10〜18度ぐらいで湿気がすくないです。 だから、壁画が美しい状態で残っているんですね。 夏は涼しく、冬はあたたかい。 台所も寝室もあり、意外にすごせないこともなかったようです。 しかし、(ガイドさんいわく)11世紀ぐらいに、 ついにカッパドキアがムスリムの手に落ち、 かれらがキリスト教徒に寛容だったため、 洞窟生活が終わったのだそうです。 イランル・キリッセ(ヘビ教会)は、 馬上にいるひとがヘビ退治をしているから その名がついたそうです。 カランルク・キリッセ(暗闇の教会)は、 窓がなく暗いために、その名がついたそうです。 洞窟には、ハトがいまもたくさんいます。 観光客がいない場所には、 コウモリがたくさんいるそうです。 伝書鳩として使っていた鳩の子孫が、 いまでも住み着いているのだそうです。 で、やっぱり人馴れして逃げない(笑) 観光客に可愛がられているようで、 なかには丸々とふとりすぎた子もいます……。 おまえ、いつか野良犬か野良猫の胃袋に入る気か? 死者の埋葬は、地下でした。 というのも、地下に埋葬されれば天国へいけると 信じられていたからです。 また、彼らが眠る地から湧き出る地下水をのめば、 病気がなおるとも信じられていたそうです。 敬虔なクリスチャンに訊きたい。 もしあなたが、 たとえば中国の人民解放軍のチベット侵略のように、 迫害されたとき。 当時のキリスト教徒たちのように、 洞窟にこもって暮らすことができますでしょうか。 文明から離れ、ひたすら信仰を護り、 侵略にたいしては立ちむかうために。 まあ、現在は火器が発達しましたし、 中国も生物兵器をつかいたくてウズウズしているでしょうから、 いろんな手段を用いてくるでしょうけれど、ね……。 (生物・細菌兵器は証拠があまり残らない) ですから、洞窟暮らしができない、と拒否しても 責めることはできません。 チベットでは、ゲリラ戦も辞さない者たちもいました。 しかし、かれらは敗北し、弾圧対象になりました。 もっとも残酷な方法で虐殺されたといわれております。 おっと、暗い話だね。 お腹もすいてきましたし、お昼にしましょう。 パンにつけて食べるやつ。 白いのはチーズではなく、塩味ヨーグルト。 ハッキリ言って、日本人の口には合わない。 ナッツのバター(?)も、塩味がなさすぎて ナッツの味しかしねぇ(笑) パンはうまいぞ! スープもおいしかったな。 チーズをくるんだパイ。 これはうまかった。 で、余ったパイをもらった(笑) 魚がきらいだから、ありがたくいただきました。 魚は、トルコのも生臭い。 日本の魚よりも生臭い。 下ごしらえしていないのが、よぉおおおっくわかる。 ゆえに、食べてない。ごめん。嫌いやねん。 どうせ野良犬のエサになるんだろ。 だから、安心して残す(おい) お腹もいっぱいになりましたし、 張りきって地下洞窟へまいりましょうか! 現在わかっているのは、 この地下洞窟は、 調査した範囲だとふかさ50メートルで、 (調査外だと、もっと深さがあるらしい) 地下30階ほどなのだそうです。 観光できるのは、 地下4階で深さ20メートルぐらいまで。 温度は、年じゅう10〜18度ぐらい。 天井がひくいので、アタマをぶつけないように。 自分もぶつけた(笑) 『あた!!』と、思いっきりさけんでしもたがな(笑) うしろの外国人に『Oh !!』って言われ、 なんか言われた。 たぶん英語じゃないな。 よくわからんが、心配してくれたのだとおもい、 『No problem !! hahaha !!』と、 涙目でグーして笑った。 あまりようない言葉やねんけどな。ノープロブレム。 『I'm ok !!』と言えば良かったかな。 でも、痛かったんや……。 この陽光のない世界で、 ローマ迫害時代にキリスト教徒たちは ずっと生活しておりました。 あなたは、ここで生活できますか? いまは電気がとおって明るいですが、 むかしはランプ(ロウソク)だけでした。 電気といっても、たまに停電になるがね(笑) 真っ暗になる。 ただでさえ迷子になりやすい場所やのに ここで真っ暗になると、焦る。 ま、すぐに点くけどな! ハハハハハ! フラッシュで写真撮影したので明るく見えますが、 実際は中は暗いですよ。 おまけの天井が低いから、かがんで歩かねばならず、 めっちゃ腰がいたい(笑) ストーンドア。 重さは400キロ。 敵の侵入時は、このドアでふさいでいたそうな。 ドアの覗き穴みたいなのは、 敵を見るのと、そこから攻撃するためにあったそうです。 地下は罠だらけで、 迷いやすい場所、落とし穴、 そしてストンドアのような穴からの攻撃。 中は真っ暗で、煙でいぶりだそうにも 侵入者たちも煙でやられてしまいます。 なかなか攻め落とせなかったそうです。 不謹慎だが、 映画のホームアローンを思い出しました。 地下都市には、 西に出口があり、東に祭壇がありました。 ワインや食糧貯蔵倉もあります。 地下都市をつくったのはヒッタイト人ではないか、 と考えられているようですが、 たしかな証拠は見つかっていません。 これは、地下の通気孔です。 50メートルぐらいあるそうです。 落ちたら大変ですよ。 狭いから、落ちれないですが。 こんな深さのものを、 どうやって掘ったのでしょうね。 当時の人びとは、どんどん掘り進めていき、 硬い岩にぶつかれば掘るのをやめたそうです。 掘っていく順番も、 1階、2階、3階……ではなく、 1階、2階、2階の幅をひろげる、3階、3階の幅をひろげる…… と、地下へ地下へと 堀りすすめていたわけではありません。 大阪名物・たこ焼きでございます。 ……ではありません(笑) これは、香辛料をいれるためのものです。 となりに、水場があります。 住居は2〜3家族で一緒にすごしていたそうです。 全体で800人も入れたそうです。 すごいですね。 これも、ストーンドア。 これがけっこう大きいです。 500キロもあります。 敵が攻めてきたときは、 これを転がしてフタしてたそうです。 また、換気口をよじのぼって周囲を監視し、 1度も外に出ることなく敵襲にそなえていたそうだ。 『ここで左まがるよ〜』とか、 観光仲間に伝言しながら行っていたのですが、 (ドラクエみたいに、並ばないと進めない) ここに来たときに 『デブは通れませ〜ん』 と、誰かが言って、 『そんな伝言、私は言ってないからね(笑)』 と、ガイドさんもめずらしく笑ってました。 デブが多いアメリカ人が、 いつもここで苦労するらしい。 地下都市は、これでおしまいです。 ほかにもたくさんあるのですが、 現在はくずれてきてあぶないから、 入れないところもたくさんあります。 伝書鳩でしょうか。 なぜか鳩ファミリーがここにいます(笑) で、やっぱり逃げない。 目玉ツリー。 撮影する角度によっては、綺麗に見えます。 陽光できらめいて、青い宝石のようです。 可愛い子犬。ああ、持って帰りたい。 人懐こくて、可愛くて、ものすごく癒されました。 うーん、ごめんよ、 いまエサ持ってないんだ。 これがウワサの(?)伸びるアイス。 ヤギのミルクと、ランの花の根が入っていて、 それで伸びるらしいです。 トルコ人は、 「伸びるアイス」とは言わないそうです。 ドンドゥルマ、とありますが、 ガイドさんは 『マラシュ・ドンドゥルバス(ドンドゥルマス)』と 言っていました。 でも、聞き違いの可能性がたかいです。 現地のひとにトルコ語講座されたけど、 なんせ、一回も発音できずに笑われたからな(笑) アイスは、 ジェラートみたいな感じでおいしかったです。 足りなければ、 「もうちょっと入れてくれ」って言ってみ。 でも、けっこう腹にくるしカロリーも高そうなので 気をつけたまえよ。 ここでワインの試飲。 わしは酒が飲めないので、試飲できんかった。 夜は、いよいよ楽しみにしていたベリーダンス! お酒が飲めず、いまいちノってない自分に、 異教徒であるにもかかわらず アッラーが慈悲を垂れたもうたのでしょうか、 冬にしか見れない旋回舞踏を見る機会にめぐまれました。 そして、ベリーダンスでは脇役をさせていただきました。 花嫁役の女性の周囲を、 民族や老若男女も関係なく、 みんなで手をつないで踊りました。 とても楽しくて、一生の思い出になりました! トルコが好きになってしまいました(笑) ここのホールで、 ダンスを愉しみながらお食事。 めっちゃ贅沢! 8種類のやつは、パンのお供。 チキンライスは味がないので塩必須。 薄味ごのみのわしが言うのだからまちがいない。 肉はヒツジ。臭い。そしてナイフで切れない(笑) 肉はやわらかいねんけど、ナイフが尖ってない。 ギザギザもない。 切るほうに時間がかかり、疲れる。 これは、メヴラーナという イスラム教の偉大なる聖人の旋回舞踏です。 残念ながら舞踏中の撮影は禁止ですが、 (スタッフにムチャクチャ注意されます。 ヘタすりゃカメラ取られるぞ!) 舞踏後ならばOKのようで、 この2枚だけ撮影に成功。 神秘的な踊りで、これはぜひ直にご覧いただきたい。 ……けど、見れるのかな(汗) 別のページでメヴラーナについてすこし触れますが、 もし彼が生きていて、 そしてもしかれの教えをじかに受けていたならば、 自分は迷うことなくムスリムになっていたでしょう。 かれの本を、プレミア価格で買って正解でした。 ひとの心に迷いが生じたときの彼のことばは、 ……古い言い回しになりますが…… 『黄金千金でも買えぬ』ものです。 まずは演奏から。 奥にいるおっちゃんがおもしろかったです(笑) ちなみに、脇役においで、と誘ってきたのは 手前のおっちゃん。 おそらく、わしが周囲をチョロチョロして 写真を撮りまくって印象にのこったからであろう。 そのまえにコーヒーを一杯。 ……うへぇ、苦いッ!! も、もうええわ、トルコ・コーヒーは、もういい(汗) あかん、ゲッホゲホ。 フラッシュするのわすれた。 でも、おかげで雰囲気が出た(笑) 自分が参加したのは、このとき。 花嫁候補の女性も、一般からえらばれました。 足のなが〜〜〜い外国のイケメンのにいちゃん。 大団円といわんばかりに、 みんなで大はしゃぎ(笑) デザートの果物。 どれも甘くてうまかった。 とくに、サクランボがめっちゃ旨い! 甘くて好き。 ここからも、まだまだ続きます。 トルコのお姉さんは美人が多いですね! 正直にもうしますと、 トルコは男女関係なく、体格がすごいです。 ……その……メタボが……ね(苦笑) そりゃ、あんな甘い菓子を毎日毎日食ってたら、 太るし、虫歯にもなるがな(汗) 腰の動きがすごいですね。 あと、わき腹に剣をはさんで踊るのもすごい! ブラボー!! ブラボー!! と、思っていたら、 外国人のひとがおひねり渡してた。 いや、でもこれは凄かった。 脇役でみんなで楽しめたし、大満足です。 ありがとう! 夜になってしまいました。 カッパドキアの夜は、岩もライトアップされて綺麗ですよ。 時間がなかったから見れなかったけれど。 野良犬にかまれたくないしね(苦笑) これにて3日め終了! 翌日は早朝から周囲を散策しました。 朝4時に目をさますし、ね(苦笑)
もどってみるんですよ。 |