旅行期間 ⇒ 2014・06/02〜06/06

行き先 ⇒ オーストラリア


今回はジェットスターを利用しました。
オーストラリアの歴史……いるかな?
知っているようで知らない方もいるかな。
……あ〜、簡単にながしましょうか。

オーストラリアが地図に表記されたのは、2世紀ごろ。
プトレマイオス(ギリシア人。有名っすな)によって、書かれました。
それまでにも多くの人々が行き交っていたようですが、
キャプテン・クックに発見されるまでは
『テラ・インコグニタ』(未知なる大陸)という名だった。

じつは大航海時代から、オーストラリアにたどり着くも、
多くの犠牲者をだし、かつ先住民が非協力的で
いったんオーストラリアへの関心がうすれてしまいます。
しかし、ダンピアというイギリス人の海賊が
クックの前にオーストラリアに上陸し、
その記録を出版したところ、たいへんな反響を呼び、
それをヒントに
ガリヴァー旅行記やロビンソンクルソー漂流記の本になりました。

アメリカの独立後に、
イギリスは囚人収容先がなく、で困り果てました。
アメリカに囚人を送り込んで開拓させようにも、
祖国イギリスにむけて銃をむけるのですから、
どうしようもありません。
植民地の南アフリカは疫病が蔓延し、
多くの囚人が死んでしまいました。

そこで、目をつけたのがオーストラリアです。
そう。大陸自体はむかしからありましたが、
じつはオーストラリアという『国家』が樹立してから、
意外に間がないんですな。
どちらかといえば、新しい国家であります。
イギリスは、先住民がいないか調査させ、
ひとが住めるようだと確認すると、
さっそく囚人を送り込みました。
ハンカチを盗んだなどの軽犯罪から、
人殺しの重罪人までいましたから、
囚人が山賊になったり混乱がありましたが、
懸命に開拓をつづけ、羊毛産業を成功させ、
艱難辛苦の末、オーストラリアが開けてきます。
次第に、囚人だけでなく自由民も移住するようになりました。

が、しかし。
すでに大陸にはアボリジニーの先住民がいました。
先住民がその大陸にいる場合は、
その住民の協力をえなければなりません。
そうしなければ、国際法違反になるからです。
しかも、アボリジニーたちは非協力的で
イギリスがもたらす文明や法律を解することがなく、
とうとう、白人による迫害や女性への乱暴がはじまりました。
ある島のアボリジニーは、5千人から3百人に激減しました。
弓矢で原始的な生活をいとなむ先住民にたいし、
白人たちはマスケット銃を使用したからです。
こうして、かれらは奴隷扱いされました。
WW1と2にも参戦し、
なかには日本軍の捕虜にもなったと言われております。
(WW2では、じつはダーウィンを空襲しています。
 日本軍は、ここまで手を伸ばしておりました。
 当時、零戦の脅威をまえに
 オーストラリアは恐怖で震え上がったそうです。
 現在も反日色が残っているのは、これも影響しています)

しかし、白人たちは反省をします。
ここは、さすがイギリス紳士というべきでしょうか。
かれらは1968年に、正式にオーストラリア国民としてみとめ、
現在もかれらの文化や歴史の保護に取り組んでおります。

じつは、日本の移民先として
オーストラリア北部があったんです。
高級ボタンの素材である黒蝶貝や白蝶貝が豊富にとれるのですが、
そこへ、ひとりの日本人が漂着します。
この日本人が非常にうまく潜水をするものですから、
オーストラリア人はおどろいたそうです。
これがキッカケで日本人ダイバーを呼び寄せたところ、
中国人とはちがい非常に潜水がうまく、また勤勉だったので、
日本の人材を欲しがったそうです。
なにせ、サトウキビ採集などの特殊な仕事もこなしましたから。
ここから、オーストラリアと日本の交流がはじまります。
明治時代のできごとです。

しかし、途中で起きた中国人排斥のあおりを受け、
日本人もその対象となり、日本の移民はなくなりました。
そして世界大戦をむかえ、両国の関係は悪化しました。
一時は対露のためとはいえ日本の軍艦を観るのもいやで、
協力をいっさいせずに傍観していたこともあったとか。
そして、WW2をむかえ、終戦にいたります。

現在は、反日色はあまりなく、
観光で行っても「ウェルカム」状態です。
まだ未開拓の土地もありますし、
これからの両国の関係は、
われわれにかかっていると言えます。

なぜ、オーストラリアにイギリス国旗があるのか、
これでおわかりですね?
知らなかった方は、これを機におぼえておきましょう。
オーストラリアの歴史書は非常にすくないのですが、
意外におもしろいので、
すこし流し読みをするのも良いでしょう。

さ、堅苦しいお話はここまで。
では、オーストラリアの写真をご紹介しましょう。





〜 1 日 め 〜












今回はケアンズです。
通貨単位は豪ドル、1ドル=95〜100円ぐらいです。
日本語も、場所によっては多少は通じる。
英語ができなくても、
検索ワードみたいに単語をならべれば、わかってくれる。
基本的に、みんなフレンドリーで優しいです。
個人的に、ずっと途上国ばかりを旅行していたものですから、
『カネをくれ〜〜〜! コレ買ってくれ〜〜〜!』と、
むらがってくる子どもがいないのには安心しました(苦笑)
白タクもないので、個人で旅行も余裕でできます。
観光やワーキングホリデーで日本人もたくさんいますから、
困ったときは、その辺のひとに声をかけたらいい。

朝晩は冷え込むときがあります。
いまの時期だとフリースか、薄いジャンパーがあれば良し。
昼間は暑いので、薄い長そでか、半袖で十分でしょう。
また、ナイフとフォークに慣れてないひとは
割りばし持参がお勧め。
余裕があるなら、冷水でOKの緑茶パックも持っていくといい。
わしは1.5のデカいペットボトルに、
茶を入れてケースに突っ込んでおく。
ホテルに帰ったらちょうど色が出てるので、ソレを飲む。
オーストラリアにも緑茶はあるが、
物価がバカ高いので、作って持参するほうが良い。
(おーいお茶が、3〜4ドルぐらいするぞ)
ミネラルウォーターも多めに持参しておくと心強いだろう。
現地で買うよりも安くつくよ。
日本よりも高いので、覚悟しておこう。

物価がたかいので、
(日本では500円ぐらいのお弁当が、15ドルもする!
 ミネラルウォーターは、場所にもよるが2〜3ドルぐらい)
節約したいならスーパーを使うといい。
自分は晩御飯に15ドルも使う気にはなれなかったので、
スーパーで2ドルのカップ麺を買って食ってた。
(マクドナルドのハンバーガーのSセットが8ドルぐらいする
 日本でもワンコインぐらいやのに!)
だが、このスーパーも観光地のためか物価が高すぎるので、
ショッピングモールのほうのスーパーを利用しよう。
若干だが、ケアンズのホテル街のスーパーより安いですよ。

ジェットスターは座席がせまく、
事前に申し込んでおくか、クレカでの支払いで
食事や飲み物がついてきます。
日本人スタッフもいますから、
英語ができなくても大丈夫です。
とくにこだわらないのであれば、
自分は関空なので、
搭乗口のちかくにあるペットボトルでも買っとけ。
あと、持ち検前でも、パンでも忍ばせてろ。
大丈夫だ、小さなお菓子かおにぎりサイズなら
バレやしねぇよ、たぶん。
わしはいつもそないしとる。今回もバレなかった。
ハラが減るんじゃ(笑)

不安なら、事前に食事を申し込んでおきましょう。

座席にディスプレイはありません。
もうね、フザけんなよ、と。
タイは、いたれりつくせりで、もっとええぞ!
なので、ヒマなら読書のための本か、ゲーム機か、
PCでも持って小説を書いたりしましょう。

オーストラリアまでは6〜7時間ぐらいです。
とくに天候不順などがなければ、
30分ぐらいは早く着くことが多いです。

朝の5時に到着し、

6時の朝食後は部屋がとれず、

ここで8時まで待機させられた。


眠い〜〜〜めっちゃ眠い〜〜〜。
出発がPM10:30ぐらいやったから、
ホンマに死ぬかと思った。







ケアンズのホテルの近くにある、記念碑(?)です。
ガイドさんがいないのでよくわかりませんが、
文面から察するに、
WW1のものだそうだ。
戦死者の名がきざまれています。

お次は、キュランダ駅まで列車で移動します。
ブダ・ジと呼ばれるルート(30キロぐらい)を
1時間ほどかけて、ゆるりと進みます。
ちょうど6月は、温暖化もあり暖かいので、
クーラーのない列車で心地よかったです。
また、乗り心地もそうわるくなく、
山のなかを走りますので空気もおいしいです。
晴れてもいましたし、とても楽しかったです。

これはHPにもありますから、
興味があればお調べください。

















キュランダ駅で降りたあとは、
動物園へ。
ここでは、カンガルーに無料で餌付けできます。

ウンコされたけどな!(笑)

けど、カンガルーはコアラとちがって、
フワフワのもこもこで、ムチャクチャ可愛いんですよ!
自分は、コアラよりもカンガルーのほうが好きになりました。
もしオーストラリアに行く機会があれば、
ぜひ、カンガルーに餌付けしてみてほしい。
これは有料でもやる価値があります。
(場所によっては2ドルぐらいかかる)
本当に、もこもこでフワッフワなんですよ!
手のひらにエサを乗っけて、
口もとの近くにやればいい。
なめとるように、ぺろりと食べてくれます。
愛らしい。いとおしい。可愛いらしい。
日本でもやれ! やってくれ!





ここは絵描きさんが多いのかな?
とてもおもしろい絵がありますね。
ほかにも、似顔絵とかもあるみたいです。



さて、ここで昼食です。
量が多いので、お腹をすかせておきましょう。
それでも食べきれないかもしれない。
このパンプキン・スープがクセモノでして、
ほぼ丸ごとカボチャが入っていて
(水気があまりない。
 ほぼカボチャで、めっちゃドロドロしとる(笑))

薬味がなぜかネギ(笑)である!

待て待て待て。
カボチャに……ネギ? パセリやのうて?
これ、ポタージュじゃねぇの?
食ってみると、やっぱりミスマッチである(笑)







これがホテル。
だいたい部屋はどこもおなじだな。
ベトナムだけはめっちゃ豪華やったけど。
ああ、そうそう。
オーストラリアには『風呂に入る』習慣がありません。
したがって、シャワーしかなく、バスローブもありません。
トルコは風呂の栓やバスローブがあったのになぁ。
寝巻をわすれずに持ってけよ。
現地で買うと高いぞ。30ドルはするよ。

ここでフリータイムなので
オプショナルツアーを申し込み、街を散策する。
シャッター通りが意外にあり、
景気が落ち込んでいるように思いました。
実際に、日本からの観光客が減っており、
景気があまりよろしくないとはチラっと聞きました。







これが晩ご飯。
肉は200〜250グラムぐらいあります。
脂っこい前菜(?)もあり、食べきれませんでした。
死んでしまった牛さん、ごめんなさい。
残したくなかったんだ、ホントだよ。
だから、量を減らして安くしろってば!
そうすりゃ、日本人のちいさい胃袋でも入るし、
もうすこし客も寄ってくるとおもうぞ。

この日は、これでおしまい。
さ〜て、寝るか、と思ってベッドに行くと……
カサコソカサコソ……ん?

ゴキブリが出てきた!

いつもなら新聞紙でパーン!と叩き殺すのだが、
絨毯をよごすと弁償しなければならないため、
とりあえずゴミ箱で退路を完全に封鎖し、
フロントで、わしの下手な、じゃぱにーずいんぐりっしゅで、
「ゴキブリが出た! どうすりゃいい?」と訊く(笑)
アボリジニーの優しいおじさんが出てきて、
素手で始末してくれました。
わしは素手ではよう触らんわ(汗)
リックというひとらしい。わーいありがとう。

飛行機のなかでは座席が空いていて、
座席から移動して横になって寝ていたにもかかわらず、
眠い。
そのため、この日は10時には眠れた。
オーストラリアのひとは、早寝早起きらしく、
10時には就寝するそうな。
あー、そういや、朝の6時には、ひとがけっこういたな。
ジョギングとかやってたわ。

では、2日めへどうぞ。


by ナマゴワクチン


もどってみるんですよ。