旅行期間 ⇒ 2010・10/13〜10/16

行き先 ⇒ グァム。★2日め!


Hafaday、チャモロ語でHelloと同意味だそうです。
たいていの人は、Helloではなく『Hafaday』と言います。
最初は『あれ? 英語圏じゃないの?』と思ったものですが、
歴史をしれば、納得できるというものです。

チャモロ族は筋骨たくましい大男が多く、女性も然りです。
あと、アメリカ文化(とくに食文化)を受け入れているためか、
肥満のひとも多いです。
肌はよく焼けていて、黒髪・黒瞳です。
なかには日本人によく似た人もいらっしゃいますし、
逆に彫りのふかい顔立ちの人もいます。

1521年にマゼランがグァムを発見、九死に一生を得ます。
食料も水も尽き果て、進退窮まったときにこの島を発見したそうです。
先住民のチャモロ族は、彼らを歓迎したそうです。
基本的に、おだやかで細かいことは気にしない民族ですから、
困っていた彼らに親切にしていたそうです。
ところが、マゼランたちが元気になって
いざ帰国しようとしたとき、
チャモロ族が彼らのたいせつなもの(船だったとおもう)を
『今までの尽くしてやったお礼』として、
だまって持っていってしまったんです。
(これをしてやったからこれを持っていく、というのは
 もともとチャモロ族の習慣なんだそうです。
 マゼランはそれを知らなかったらしい)
これに激怒したマゼランは、
彼らを虐殺した上に「Las Islas de los Ladrones」(盗人の島)と
吐き捨てて、島を後にしました。
……と、ガイドさんが言っていました。

1565年にレガスピが来島、
グァムを『スペイン領土』と宣言して植民地となります。

1668年、宣教師たちが島をおとずれ、キリスト教をひろめます。
ガイドさんは言ってくれなかったのですが、
この間にどうやら反キリストのチャモロ族が
戦争を仕掛けたらしい。
10万人から人口は激減したというが、その数字は怪しいとおもう。
まあ、古来より戦争による犠牲者はとくに
誇張されて表記されるものですから、
実際はもっと少ないのではないでしょうか。
いずれにせよ、宗教による反発はあったらしいです。
現在はキリストが定着し、
のんびりと暮らしていらっしゃる方が多いです。

1941年12月8日に太平洋戦争が勃発。
同月10日に、アメリカ軍が手薄な状態であることを利用して日本が占領しましたが、
1944年8月に米国が奪還しました。
そのときの小さな日本製の砲台や潜水艦が残っていますが、
『何だこれは。オモチャか?』
と、アメリカ兵に嘲笑されたそうです。
アメリカ兵に追いつめられた日本兵は、
大半が戦死・捕虜になるか、銃で自決したそうです。
『我は魂となりて日本を守る』と、
書面にしるし本国に送った記録があるそうです。

有名な横井 庄一さんが、
約30年ほどグァムで生き延び、話題になりました。
この方のこの一件がなければ、
『グァムは何もない、ただの島になっていただろう』と
向こうの人は言っていました。
小動物を狩り、グァムの葉で洋服を作ったそうです。
仕立て屋だったらしく、手先はもともと器用だったそうです。
『戦争が終わったぞ!』と呼びかけ、またビラを撒いても、
ジャングルから出なかったそうです。
『罠かもしれない』と思ったらしいです。
用心ぶかさがうかがえます。




さて、クイズです。
チャモロ族は標高約400mの山を、
『世界一たかい山』と言って自慢します。
それは、なぜでしょう?
理由がありますし、彼らの言うことは正しいです。
ちょっと考えてみよう。
答えは下に載せます。





〜 2 日 め 〜




オプションで、まず最初にむかったのは
アガニャ大聖堂(聖母マリア大聖堂)です。
17世紀に建てられ、なんどか改築などを繰り返したらしいです。
中心にレディ・カマリン(聖母マリア)があり、
悲しいできごとがあると、涙をながすらしい。
バックにはステンドグラスが見えます。
中はどんなふうになっているのでしょうか?
撮影許可もありますから、ちょっと覗いてみましょう。



すまねぇ、何と書いてあるのかわからん(おい)
いや、ガイドさんが訳してくれたのだが、
この日はメモ帳とペンをうっかり忘れてしまってな。
相方は『しんどい・帰りたい』と言い出して
歴史には興味がないらしく、ちょいとケンカになりました(苦笑)
いや、ちょっとは空気を読もうぜ……。



土日などは人でいっぱいになるそうです。
この日は平日の昼間だったため、人は、あまりいませんでした。



これは、大聖堂の入り口を背にして右側のステンドグラス。
祈りをささげている女性がいました。
キリスト教徒でもない自分が教会に入るチャンスはないので、
邪魔になってしまったね。ごめんなさい。



これも同じくステンドグラス。
うーん、どの聖人だろ……わからん。すまん(汗)
名前がわかればいいんだけどなぁ。絵までは知らん。



こちらは像です。偶像崇拝(のようなもの)は、
NGではないんですね。



あんまり綺麗に撮影できていないな……ごめん。
しかし、細部まで描き込まれていて、引き寄せられてしまいます。



たぶん、サムソンとか最後の審判とかだとおもうけど、
いや、わからん(汗)



これはたぶん、入り口左側のステンドグラスだと思います。
撮影した場所すらおぼえてないのかってな(苦笑)
いや、ちょいと連れと口論とか……(迷惑な奴)



父と子と精霊の名において。アーメン。



カトリックなので、中心部の座席に司祭がすわります。



これが、先ほどの
レディ・カマリン(聖母マリア)の像の背後のステンドグラス。
ほんとはイスにあがって撮影したかった(おい)
いや、やりませんよ! そんな失礼なことなんかできるかッ!!



イエスはかならず復活すると信じられていますね。
ふしぎですね。彼らがいうと、そう思えてきます。







つぎは、アサンビーチ。
一見すると、戦争の爪あとなど残っていなさそうな平和な場所です。
しかし、曇り空もありますが、どこか寂しい感じがしました。



これは、当時の本物の写真だそうです。
実はここにはオプションの都合で2度おとずれています。
日本軍は、援軍がくると信じてこの海岸をずっと見ていたそうです。
そこへ、ある日とつぜん、海のかなたから黒い点が見えはじめました。
『援軍だ!』という日本軍の狂喜もつかのま、
それはグァム島を占拠されたアメリカの報復の艦隊でした。



武器も食料もなく、日本軍はけちらされ、
敗退をかさねながら背後の山へとむかいます。



アメリカ軍は、進撃をつづけました。
流血はつづいたのです。



上層部の指示をあおげないまま、日本軍は壊滅しました。
今でこそこんなに平和でしずかな公園になっていますが、
それがまた過去の悲惨さを物語っているような気がしますね。
上層部のかたがたは、すべて拳銃で自殺したそうです。
こめかみに、銃を当てて……。



当時の不発弾が残っていますが、模型っぽいですよね。
本物かどうかはシロウトの自分では判断しかねます。



これもガイドさんに訳してもらいましたが、
わすれてしまいました……。



『過去の歴史を知ることは、今のわれわれには大事なことなんだよ』
ガイドさんが言っていました。
過去があるから、今がある。
そのことばにうなずきながら、次にむかいました。







つぎは、戦争記念館。
当時の日本軍が置いていったものを見ることができます。











日本国旗を、背負っていたんですね。
ちなみに、当時の日本兵は小柄だったようです。



これは、日本の潜水艦らしいです。
ふたりしか乗ることができず、
中の人間のことなど考えずに設計されたそうです。



とうぜん、こんなものがアメリカ軍に通用するはずがありません。
多くの兵士たちが犠牲になりました。
この潜水艦そのものが、敵を撃滅する魚雷だったのですね。







つぎは、セッティ湾展望台。
うつくしい緑が堪能できる場所でもあります。



この日はあいにく曇っていて、
あまり良い写真を撮影することはできませんでした……。



左の人は、ほかのツアー客。
基本的に、ツアーはいろんなホテルの人が集まります。
この日も10人ぐらいいました。

さて、チャモロ族が『世界でいちばん高い』と
自慢する理由が、そろそろわかってきたのではないでしょうか?



ヒントは、海です。
1日めのページで、
自分は『むこうはディープブルーで深さがとつぜん増す』と言いました。
ピンときたかな?



答えは、マリアナ海溝があるからです。
現在はどうもその深さに疑いがあるようですが、
しかし、マリアナ海溝を足せば、
たしかに世界でいちばん高い山になりますね。



グァムは、車がなければ不便な場所です。
ほとんどのひとが車を持っています。日本車が多いらしいですよ!
ちなみに、野生のハトの代わりに野生のニワトリがいっぱいいます。
その辺に当たり前のようにいます。タマゴは見つけたモン勝ちで、
有精卵なのでおいしいらしいです。





これは山頂ではなく、ひとつ下の段差から撮影したもの。
こちらのほうが安定して撮影できることに、
帰り際になって気がつきました(笑)







つぎは、ソレダッドの砦です。
砦というよりは見張り台というべきかもしれません。
当時は貴重な香辛料をはこぶ船が多かったため、
海賊が多かったそうです。



ちょうど、右側の港に停泊していたらしいです。





あいにく曇っていましたが、
晴れているとここの海も非常に美しいらしいです。





いつもはこの時間帯に水浴びに行く水牛だそうですが、
この日は運よく草をはんでいました。
けっこう可愛いです。
ちなみに、この牛とは次の日に偶然会い、
しかも親切なチャモロ族の村長がいたおかげで
触らせてもらえました(笑)



これは海賊撃退ようの砲台だそうです。
興味がありますよね!
近くで見てみましょう。



現存しているのは、この3台のみです。
どんなふうになっているのかな?



おっと、連れに邪魔されて見張り台から先に撮影(笑)



ふと、三銃士時代を思い出しました。
スペイン製の砲台だからです。
たしか三銃士のアンヌ王妃はスペイン王室の出だったはず。



どれぐらいの威力があったのでしょうね。
今となってはわからないです。
中身はどうなっているのかな?



こらこらこら〜〜〜!!

いや、ビックリしましたよ(汗)
マナー違反もここまでくると悲しくなりますね!



晴れていたら、もっと素晴らしかったのになぁ。
グァムの天気は気まぐれなのです。







ココス桟橋です。
これは、ギリギリから撮った海です。
落ちるかと思った(笑)



曇っていても透きとおっているのがわかりますか?
ここでも、釣りをしているチャモロ族と出会いました。
ごめん、チャモロ語はわからない(汗)
英語もつうじるけど、チャモロ語が多いです、さすがに。



そうそう、彼らはニワトリを飼っていますが、
数を把握しているわけではないようで、
何羽いるか、何羽逃げられたですとか、気にしないようです(笑)



ここの橋は、くずれてしまっていました。



運わるく、このあとに大雨に見舞われました。





とりあえずキリがないので、2日めはいったんココで区切ります。
余った時間で花なども撮影したのですが、
それは別のページに分けます。



by ナマゴワクチン


もどってみるんですよ。